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メンタル由来の死について

以下の文章を読んでも、できれば誰も私を責めないでほしい。

 

 

 

 

某番組の某出演者が番組内の振る舞い等に関してSNS等で多数の誹謗中傷を受け、おそらくそれが原因で自ら命を絶った。

この事件についてこれまたSNSを介して様々な人が意見を述べていて、それも含めて色々と思うことがあったので私も記しておきたい。

 

 

 

 

私はこの番組を直接は見ていなくて、私の好きな芸人がこの番組を好きで、その人が大まかなあらすじなどを説明したりその感想を言ったりする動画を通じて内容を少しだけ知っていた。

当人がどういった誹謗中傷を受けていたのかは把握していないため軽々しく言えたことではないが…

 

というような前置きをしてまで言うことは、だいたい言わない方がいい。

言わない方がいいけど言いたいんだみんな。

承認欲求とはまた違う、なんかそういう欲求が人間にはある。

そういう欲求をくすぐるのがメディアとかエンターテイメントの本質だと思う。

 

改めて、

私がこの報道を通じて感じたことは以下2つ。

・自分の生き様を他人にとやかく言われて結果死を選ぶ人の思考は主人公的なのかな。

・誰が何と言おうと誹謗中傷の加害者には加害者意識は生まれない。

 

 

辛いことがあって自ら命を絶とうとするとき、そこにどういう心理がはたらいているのだろうか。

自分の死をもって誰かの心にダメージを与えてやろう、それで原因となった相手に仕返しをしてやろうみたいな感覚が少しでもあるのだろうか。

もう嫌だから人生やーめた、ぐらいの感じなのだろうか。

どちらにしたって、なんで死を選ぶんだろう、その意味がよくわからない。

まぁでも思えば私も前職辞める少し前は死のうって感覚になったことあったな。

あったけど、あったとしてもやっぱ死ななかったもんな。

カッコつけて言うなら自分が誰かに殺されるのが悔しかったから。

 

人の死はたぶん本人が思ったよりたいした事象じゃなくて、それによって他人の心はそんなに揺さぶられない。

誰かが死んでも世界は続くし、自死は本当に無意味だと思う。

逆にたいしたことじゃないからサクッと死んだのだろうか。それはそれで無責任ですよね。

こればかりはもう誰にもわからないことだけど。

 

 

そしてこの件で様々な著名人がSNSのあり方について厳しい声をあげていたし、それに加勢するように一般の人々も言及していた。

でも、加害者には伝わらないんだよね。

例えば極端な話、今回の件で「誹謗中傷をした奴は死ね」と言う人がいたとして、その人はたぶんそれ自体が誹謗中傷だということに気付いていないだろう。

それぐらい、自意識を俯瞰で見て善悪を判断するのって難しい。

みんな普通に生きている中で自分が悪いことをしてるって思ってないでしょ。

SNSで誹謗中傷をしている人も含めてみんな、普通に生きているだけのつもりなんだ。実際に事件が起きて、こういう声があがったとしても、それが自分のことだとは思わない。そういう悪い奴らがいるんだなって思うだけ。

これはもちろん私もそうで、ネットリテラシーに気を付けているつもりでも、たぶんどこかで誰かを傷つけている。「あの新人俳優は演技が下手だな」とか「あのアイドルよりこのアイドルの方がルックスが良い」とか、気をつけてるつもりでもたぶん言ってる。

もっというと今回声をあげている著名人各位も、どっかで言ってるんだよ。

だったら、正義感をかざして声をあげると同時に自分のこれまでやこれからの言動を見直していかなきゃいけない。「叩かれている人はこんな気持ちなんだぞ」とか関係ないよ。

それぐらいはいいじゃんとか、それは誹謗中傷に入らないとか、そういうのは受け手以外に決めることはできない。

会ったこともない知らない人の悪口を、みんなが言わないようにするんじゃなくて、私が言わないようにするんだよ。

言いたくなる欲求に打ち勝つ。エンターテイメントを超える。

 

 

振り返ったら既に「自死は無意味」とか言っていて、そういうとこだぞ、となりました。

この文章で最後にしようね。