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ソロモンの偽証を見て

以下本編のネタバレを含む。

 

 

本編はある中学校で起こったひとつの事件に対して様々な憶測が飛び交う中、生徒たちが自らの意思で情報を集め裁判を開き、真実を追求するといった内容のものだった。

 

うわべで言えば中学生が奮闘する姿からそれぞれの人にある正解とも不正解とも言い難い思念に心動かされる話、

本質として大人と子供、親と子というもののあり方とは何かを問われているような話だったように感じられた。

 

 

不可解な死を遂げた生徒。

いじめられっ子のいじめっ子への復讐心。

複雑な家庭環境。

見て見ぬ振りをしてしまう偽善。

無関係で無慈悲なヒステリー。

他にも様々な事実とそれを元に生まれる偏見が幾重にも重なり、リアルが描かれていた。

 

 

前後編の計4時間という大作だった割に引かれる伏線はさほど多くなく、伝えたい情報量が多すぎる故に下手な演出は控えたのだろうかと伺えた。

時間としては長かったけど、この内容を伝えるにはむしろ短かったようにも思うし、結果としてきれいにまとまりよく締めくくられたのではないかと思う。

とはいえ不可解というか不自然というかな部分もいくつかあって、

リアルに見れば見るほど被告人役の不良少年がいつまでたっても姿勢の悪い風紀の乱れた格好でい続ける姿が滑稽に見えたこととか、

告発文を書いた犯人はあらかじめ視聴者にわからせていたのに真犯人(?)については最後の最後で明らかにする演出もどういう効果があったのかよくわからなかったし、

そもそも死んだ生徒が本当に何者だったのかも最終的にはよくわからなかった。

まぁまぁまぁまぁ。

 

 

 

 

さて、

最近ドラマや映画を見るとき、子供よりも親の目線からそれらを見るようになっている。

自分の子供が「学校で裁判をしたい」と言い出したらどうするか、とか。

自分の子供が「この事件の犯人は私をいじめていたあの人です」というでっち上げの告発文を書いていたらどうするか、とか。

自分の子供が仲良くしていた友人に裏切られた挙句死んでしまったらどうするか、とか。

 

 

私は幼少期から比較的マイペースに生きてきて、ありがたいことに友達にも恵まれていたし、ちょっといじめられているっぽい立ち位置にいたときも「何かされたらこいつらを殺せばいいし」というヤバめな思考を持っていたため、死ぬほど思い込むこともなく生きてきた。

それこそ今となっては大人になって、子供の悩みなんてちっぽけに思えることもある。

でも、実際に子供に「これも10年経ったら笑い話になるよ」なんて言ったって通じない。

私にとって10年後がすぐそこでも、彼らにとって10年後なんて遠い遠い未来だから。

彼らにとっては今この瞬間こそ死活問題なのだから。

 

 

ドラマや映画を見るぶんには他人事のように「自分の子が言ってることをそんなに軽くあしらうなよ聞いてやれよ」とか「自分の子を守るってそういうことじゃねえだろ」とか偉そうに思うけど、実際「何わけのわからんことを言ってるんだい」って、言っちゃうんだろうな〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

 

 

 

私にはどこか結局死ぬまで1人で生きるなら今死んでも一緒だという心理があるけど、かといって今のまま人の親になれるのだろうかという不安もないわけではない。

作り話を即自分の生き死にに落とし込んで考えてしまうのは私の悪い癖だが、いよいよ何を見ても感じるものがそこに収束するようになってきている。