働く人間恐怖症になったときの話
2017年頃、働く人間恐怖症になった。
日々モノを生む仕事をしている中で、だいぶ疲弊していたのだろう。
例えばコンビニに入ると、並べられている全てのモノにそれを作るために働く人間の姿が見えた。
必要なものを手に取ってレジへ向かうと働く人間に応対された。
テレビを見るとおもしろおかしくトークをするたくさんの働く人間が写っていた。
そのテレビ本体を作るために働く人間の姿も思い起こされた。
座る椅子、食事する机、食器ひとつひとつにも働く人間がいた。
私が休みの日でも開いているお店には働く人間がたくさんいた。
ドライブをしていても信号待ちで隣にとまった営業車には働く人間が乗っていた。
車内で流れる音楽から働く人間の声が聞こえた。
どこへ行っても何をしても誰かが働いていた。
私も働いていた。
強迫神経症を生まれて初めて実感した。
今でも油断すると、食べているおやつの原材料ひとつひとつに働く人間の姿を想う。
米粉、砂糖、醤油、水飴…その全てについて生む者があり売る者があり、そしてそれらの材料からまた新たなものを生む者があり売る者がある。
みたらし団子のパッケージの上に、大量の働く人間がウジャウジャと見える。
見える。が、みたらし団子はウマイ。